もしも、自分が「がん」だったらどうしよう?
人が一生の間でこう思う事なんてほとんどありません。
思うとしたら、
①健康診断など、何か医療系の検査でひっかかった時
②とても体調が悪く、なかなか診断がつかず待っている間
③ドキュメンタリーやドラマなどで病気の主人公などに自分を重ねてみる時
などでしょうか?
がんという病気について回るのが「告知」の問題ですね。
現在は、患者さん本人にもしっかりと病名を告げるケースが多くなっています。
それは、治療を進めるうえで大切なことがたくさんあるからだと思います。
今回は、「告知」についてお話しします。
■告知!私の場合
私は医療従事者でした。
現在は違う職種についていますが、病気や告知という言葉に近い場所で生活していましたし、そういう現場を少なからず見て来ました。
ですので少し感覚が違うかもしれません。
乳がんの告知を受ける前提として、最初の受診時からすでに(私は乳がんかもしれない)という思いがありました。
検査を受ける際も、ある程度の予測がつきましたし、エコー検査やマンモグラフィーなどの画像診断でさえ、ドクターがおっしゃる前から(何だか黒に近いグレーゾーンだろうなあ)との予感がありました。
私がはっきり「乳がん」だと告知されたのは電話でした。
まあ、がんの告知にしては珍しいパターンですよね。
あくまでもドクターのフォローをさせて頂くとしたら、「告知」というものは、普通は患者さんと面と向かって、または家族を通して行うのが一般的だと思います。
私の場合はこちら側からドクターに無理やり告知させた感じでしたし、電話での告知になりました。
どういうことかと言いますと、最初の受診・検査が12月の下旬。結果が出揃うのがその病院の年内受診日最後の日の予定でした。
おまけに私は仕事で検査結果を聞きに行くことができない。
しかし結果は早く知りたい。
ということで、前もってドクターに
「その日に電話するので結果を教えて頂けますか?」
とお尋ねしていたわけです。
にもかかわらず、ドクターが電話口で告知してくださるまでの時間のかかること、かかること。
「せんせい、どうでした?」
の問いに、かなりの間があって、それでも
「うーん」
というはっきりしないお返事でした。
最後には私のほうが待ち切れず、じれったくなって
「乳がんだったんですね」
と断定してしまいました。
これでは乳がんの告知のショックは感じるどころではありません。逆に(やっとわかった)という気持ちで不謹慎ですがホッとしたのを覚えています。
私が一番ショックを受けたのは最初の受診をしたときです。
乳がんかもしれないと思いながら受けた検査でドクターから限りなくグレーゾーンだと言われたときです。
(この時も私のほうから、ドクターに無理に教えて頂いたのですが・・・)
お医者さんというのは普通は確定するまでは不用意なことは口にしないのだと思います。
しかし私はこのドクターとは医療従事者同士として知り合いであったこともあり、私は病気のことは何も隠さずに話してほしいと最初からお願いしていました。
ですので、私の場合の「告知」はとてもまれなケースだと思います。
思いもよらず突然の告知に頭の中が真っ白になることもなく、不安に押しつぶされる間もなく、ただ確定する結果だけを待って待って、待ちに待ってやっと言ってもらった。
そんな感じなのです。
私の「告知」についての記事はこちらを参考にしてくださいね。
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■告知されることと、告知されないこと
告知をされることと、されないことではどんなメリットやデメリットがあるのでしょうか?
告知を受ける場合
・自分の病気についてはっきりわかる。
・よくも悪くも、病名のわからない不安から解放される。
・これからの治療に患者さん側主体で取り組める。
・治療への前向きな姿勢をとれることと周囲がフォローしやすくなる。
・一時的に精神的なショックを受ける。
告知を受けない場合
・病名と自分が抱える不安感に悩まされる。
・治療目的を理解できないまま受け身の治療となる
・告知による一時的な精神的ショックを避けることはできる。
がんの治療自体、生半可な気持ちで受けられるようなものはないと思います。
患者さん自身のある程度の覚悟や心構えがあってこその治療展開になると思います。
そうすると、告知を受けることのメリットの方が多い気がするのは私だけでしょうか?
例えば告知を受けなかったとしたら、最初の「告知によるショック」は回避できるかもしれません。
しかし次々提案される治療と患者さん自身が感じる気持ちとの間に食い違いや不安が生まれた時十分な説明や納得できる回答が得られるとは思えません。
違う病名で治療が始まったとしても、患者さんの側から見れば疑問に思うことが増えて来ると思います。
自分の身体や症状のことですから完全にごまかせるものではないと思います。
そんなときに痛みや辛さだけ感じながら治療を受けるというのは過酷な気がします。
告知が最初にドカンと来るショックだとしたら、その後の治療過程の不安は徐々に来るショックだと思います。
ましてや途中でがんだと知ったときのほうが患者さんのショックは最初に知るときよりも大きくなるかもしれません。
■もしも自分ががんだったら
すでに乳がんなので、もしもはいらないのですが、私だったら、今の病状がどういう状況にあるのか知らないまま苦しんで苦しみ続けて死ぬのは嫌です。
何が言いたいかと言いますと、がんには治療をすれば治るがん、治療をしても治る見込みのないがんがあると思います。
もしあなたが、「がん」になったら、どう生きていくか、これからをどんな思いで過ごして、自分にとっての生き死にをどうとらえていくかを自分の考えで選択していきたいと思いませんか?
治るかもしれないならどんな辛い治療だって受けたい。
そう思う人がほとんどです。
また治る見込みがないと思われるなら、最後まで延命目的で辛くても治療を続けたいと思う人もいれば、苦痛を感じたくないから痛みだけをとる治療を続けたいと思う人もいるでしょう。
私は最初苦痛を感じずに最後は辛くないように死にたいと思っていましたが、今では少し考え方が変わり、家族が望むなら少しでも永く生きたいし、そのためには辛い治療も受けるという覚悟が少しはできてきました。
話がそれてしまいましたが、告知を受けることで患者さん自身が自分の今後の生き方を決定できるし、受け身だけの治療をしなくてすむということです。
このことをわかったうえで、それでも精神的に告知を受けられない方もいるし、家族が先に知ってしまって当人に隠すということもあるかもしれません。
私は主人に
「もし、余命だとか、私そっちのけで呼ばれて何かを告げられるようなことがあったら必ず私に隠さないでほしい。」
と話しています。
■がんであること
私はがんになって家族のありがたみや優しさを深く感じることができました。
だからがんになってよかった、などとは本心からは思えません。
人より永く生きられない可能性だってありますし、がんの苦しみや治療の苦しみなど経験しなくてすむ苦しみや痛みを味わうかもしれないのです。
どう考えてもよかったとは言えません。
でも一つだけ他の人と違うのは死に方を決められるということです。(がんであっても事故や事件で亡くなる方もいらっしゃいますが)
死ぬ前にやりたいことやある程度の死の期限が心構えとして受け入れられるので、人生を有意義に過ごせるのかもしれません。
私もいつ転移してもおかしくない状況ですので今、できることを後回しにしないように生活していきたいと日々思いながら生きています。
このようなブログを書いていて、20年後30年後も普通に転移せず生きていましたならば、それはそれでトリプルネガティブでステージⅢcの私でも完治したと、乳がん患者さんの大きな励みにもなるかもしれません。
そうあることを願います。
告知を受けてからのショックとそれに対応していく心の流れにも触れています。
私の乳がんについてはこちらの記事もお読みください
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あなたにも知ってほしい!乳がん「トリプルネガティブ」の私が体験した治療や検査
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