抗がん剤AC療法の副作用第2弾です。
今回は吐き気・嘔吐について書いてみました。
個人的には抗がん剤の辛さが一番身に染みる副作用でした。
毎日、毎日、考えることといったら、
(早く元気になりたい。こんなきつい思いはもう嫌だ)
ということばかり。
そんな私の体験をお話しします。
目次
■抗がん剤!AC療法(副作用)
抗がん剤(AC療法)にはたくさんの副作用があります。
その中の吐き気は特に強烈なダメージをもたらすものです。
吐き気・嘔吐編
このAC療法の副作用の中で、個人的に一番辛く苦しかった記憶があります。
私が唯一根をあげそうになった副作用でもあります。
心が折れました。
病気に立ち向かっていく気力がなくなりました。
心も身体も病人になっていきました。
(気持ち悪い!まるでつわり?)
胸がムカムカして、何かが胃のあたりに詰まった感じです。
吐き気がするというより、吐いたらスッキリするのに吐けないという感じでした。
妊娠時のつわりを酷くしたような状態が続きました。
他に例えるとすれば、食あたりを起こしてお腹がくだるところまでいかずに、胃の辺りで悪いものが留まっているような気分の悪さです。
起きていても横になっていてもムカムカはとれることなく、私としては、「辛い」という一言でしか表現できないものでした。
(とにかく、ご飯が食べられない)
胸のムカムカが続きますので食事も満足にとれません。
一応お腹は空くのですが、鼻先で食べ物の匂いがするとそれだけで不快感が増します。
主人は、何も食べようとしない私に少しでも食事させようとあれこれ考えて食事作りを頑張ってくれていました。
朝食に始まり、家にいる私の分の昼食、夕食と内容を考えての毎日。
仕事との両立はとても大変だったことと思います。
内容は、おかゆ、にゅうめん、うどん、雑炊などです。さっぱりしたものは無理やり口に運ぶことで食べることができました。
主人の叱咤激励あればこそです。
こちらの記事も参考にしてくださいね。
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(家族の支えあればこそ)
当時はまだ高校生だった娘もいましたので、お弁当作りやお洗濯などのお手伝いをしてくれました。
後々、別の抗がん剤の副作用で私がまともに歩けなかった時期がありました。
その時などは、母親の私をおぶって階段を上がるということもしてくれました。
優しくて、強くて、心強い見方でした。
そして私の闘病の一番の心の支えになってくれたのは主人でした。
優しい言葉をかけるというより、はっぱをかけて私が癌に立ち向かうようにもっていくのが主人流の励まし方でした。
私が弱音を吐いたり、愚痴、泣き言を言おうとすると、
「お前が頑張る気持がないと周りは力になれない。まずはお前が気持ちを強くもたないと」という感じです。
傍からみると厳しいと思われるような言いかたかもしれませんが、かなり弱気になり心が折れ落ち込んでいた私にはちょうどよかったかもしれません。
(身体がふらふら)
食事を摂れないことが一番大きな原因だと思います。
抗がん剤を点滴してもらった夜から副作用が出始め、4~5日で回復してくることが多かったです。
夜はベッドに横になりますが、日中は座椅子で過ごしていました。
胸がムカムカしているときは横になってじっとしているよりも、テレビを見たり何かやっていた方が気が紛れます。
朝、主人と娘が仕事と学校へ行ってしまうと一人になります。
座椅子に座って、誰もいない部屋の中で
「気分悪~い」
「ムカムカする~」
とよく叫んでいました。
(心が折れそうになる)
気分が悪い、体調がすぐれない、どこかが痛い。
身体が健康でないときは心も弱くなるんだなと実感しました。
このAC療法をする前までは
(どんな副作用にも負けるもんか)
と思っていましたし、打ち勝つ自信もありました。
でもダメなんです。
具合が悪いと気持ちが前向きにならないのです。
「もう嫌だ!」
と何度も叫んだこともありました。
(主人が優しくない、もっと優しい言葉をかけてよ)
と思うこともありました。
何をしても誰の励ましを受けても心が明るくならないのです。
先が見えない状態でした。
心が闇の中にいるみたいでした。私にとっては、この副作用のせいで抗がん剤はつらいものと頭にインプットされました。
(AC療法の最中に実家の母が来てくれました)
乳がんと診断されたのが、2011年の年末です。
その後すぐに九州の実家へ帰省し、年末年始は私の実家である長崎と主人の実家である福岡で過ごしました。
しかしこの時点では双方の親に乳がんのことは話せませんでした。
理由は2つです。
- まだ告知段階で病状の説明もこの先の治療もわからなかったから
- せっかく親兄弟が集まって賑やかなこの時期に暗い話題を避けたったから
実家に乳がんのことを話したのは帰省がすんで実家から長野へと戻ってからです。
1月後半にMRIやPET検査を受けて確定診断がついた後のことです。
6月頃だったでしょうか?
実家から一人で母が訪ねて来てくれました。
母が長野まで来てくれた名目は遊びにということでした。
しかし、実際は娘の私を心配して様子を見に来てくれたのだと思います。
遠い道のりですのに、高齢の身で一人夜行バスを使い、長崎から名古屋まで。名古屋で乗り換えて高速バスで長野まで。
約1日がかりの長旅は、高齢でなくてもしんどいものだったと思います。
本当に親のありがたみが身にしみました。
心から感謝しています。
当時は脱毛もかなり進んで・・・・
というより、完全に抜けてしまっていましたので丸坊主の状態でした。
ウイッグをとって母に見せると、母はポロポロと涙を流しました。
それを見て私も泣きました。
母は何も言わず私をギュッと抱きしめてくれました。
このような姿を母に見せたくはなかったです。
不幸中の幸いかどうか、母が訪ねてきてくれたときは吐き気・嘔吐の副作用は落ち着いていたので、一緒にご飯も食べられましたし、気分悪くて「うん、うん」唸ることもなかったのでよかったです。
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(仕事にも行ってました)
AC療法中間に有給休暇を入れながら仕事にも行ってました。
仕事との両立はまた別の記事で書いています。
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以上が私のAC療法での、「吐き気・嘔吐」に関する副作用の状態です。
乳がんの他の記事についてはこちらをどうぞ
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あなたにも知ってほしい!乳がん「トリプルネガティブ」の私が体験した治療や検査
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