あなたは、私が乳がんになったとき、悲しくて大泣きしたり、ショックで周囲に当たり散らしたりしたと思いますか?
誰でもそういう場面がありそうですよね。
しかし、私にはそういう機会はありませんでした。
最初に自分の気持ちを出さなかったせいで、後で感情があふれてしまったことがありました。
今回は、「乳がん」の闘病生活における私の心の動きをお話ししますね。
目次
■「乳がん」になって泣けなかった
こんな大変な病気になったのだから、泣いて、泣いて、泣き通しだったかというと、そうでもありません。
泣きたいことはたくさんありましたが、泣けませんでした。
泣くタイミングを失ったのかもしれません。
「乳がん」とわかったとき
私は「乳がん」になったとき泣けませんでした。
どういうことかと言いますと、
泣きたい気持ちはとてもあったけど泣く機会を作れなかった。作らせてもらえなかった。
といった方がわかりやすいかと思います。
ドラマの中では、がんの告知をされたら、泣き崩れたり家族に当たり散らしたりする場面が見られますよね。
私の場合は感情をぶつけて泣く機会がなかったのです。
確かに「乳がん」と分かったことで次々と不安に襲われ、一人でこっそり泣いたことは何度もありましたが、家族の前でワンワン大声で泣くことはなかったように思います。
主人に言われた一言
抗がん剤治療が始まり、副作用のつらさに根をあげそうになったときのことです。
「乳がん」になって手術を受け、最初の治療でした。
抗がん剤AC療法は「赤い悪魔」と言われるだけあって、副作用も悪魔のように思える辛いものばかりだったのです。
中でも「吐き気」に関しては、こんなつらい治療なら抗がん剤はもう二度と受けたくないと思うほどで、精神的に参っていました。
最初の1クール目の点滴を受けたばかりなのにすでに私の心は折れてしまっていました。
「私だってつらい!もう嫌だ!治療なんてやめてしまいたい!」
そう主人に当たり散らしたことがあります。その時「乳がん」になって初めて大泣きしました。
その時は、ただなぐさめてほしかっただけだったのだと思います。
「つらいだろうな。でもがんばれ」というような、自分にとって優しく感じられるような言葉かけを待っていたのです。完全な私の甘え心でした。
しかし、主人から返ってきた一言は
「そんな弱気な事を言うな!そんなんじゃ俺だって協力もしたくなくなる!」
といった突き放すような言葉でした。おまけに口調も強く、私にとっては励まされているというよりも叱られている気分でした。
その瞬間不満が溢れてきたのです。
「どうして、そんな事言うの。辛いのは私なのに、どうして優しい言葉をかけてくれないの!」
矢継ぎ早に出てくる言葉は止まりません。
主人は私が落ち着くのを待ってから淡々と言いました。
「お前が大変なのはわかる。おれにはその辛さは正直わからない。だけどお前自身が頑張って治療しようという強い気持ちを持たなければ、おれは協力できないだろう?」
「お前が頑張っている姿を見て、力になりたいと思うんじゃないか。本人にやる気がないのに周りが頑張れ頑張れと言っても無駄なのと同じだ。」
その時は
(なんて冷たい人なんだろう。他の患者さんはきっと泣いてぶつけても、家族がよしよしとなぐさめてくれるに違いないのに)
と不満いっぱいでした。
主人の思い
もともと弱音を吐いたり、逃げ腰になっている者には厳しい主人でした。
しかし、自分なりに頑張ろうとしている人や、前に進もうと行動に移している人を見ると手を貸してあげたくなる人でもあったのです。
表面上の厳しい言葉に、
(厳しい人、冷たい人)
とうわべでしかとらえることの出来ていなかった私でした。
「乳がん」という病に立ち向かっていくには
乳がんに限らず、病気になるということは、過酷なことです。
それに立ち向かっていかなくてはなりません。
弱音を吐いても、愚痴をこぼしても病気がなかったことになる訳ではありません。
病と闘うのに必要な「強い心」
今ならはっきり言えます。
「乳がん」という病に立ち向かっていくには「強い心」が必要だったのだと。
告知されるということだけでも精神的にショックなことです。その後に、手術や治療や検査など様々な出来事が待っているのです。
「乳がん」という病は手術したら終わりではありません。そこからが長い道のりなのです。
その長い道のりを歩き続けるためには「乳がん」に立ち向かうための強い心構えが絶対必要になってきます。一つの治療を終えるだけの間ではないのです。
自分がいくつもの治療を受けてきたから言えることです。
最初は私も
(よし、治療を頑張るぞ!負けないぞ!)
という強い意気込みを持っていたのです。それなのに、最初の抗がん剤治療でもろくも崩れ去ったのだから、この闘病生活がどれだけ過酷かわかるというものです。
そして強い思いというのは一人で継続させることがなかなか難しいのです。
途中ではっぱをかけてくれる家族や、周囲の理解ある友人の存在は必要になってきます。
私の場合は、その存在が主人だった訳です。
主人の心の奥底にある優しさ
主人は、頑張ろうと思った矢先にすぐ心が折れてしまった私を、立ち上がらせてくれました。厳しい言葉も態度も私を「乳がん」の治療に向かわせ、奮い立たせるためのものだったのです。
今にして思えばこれこそが、上辺だけでない本当の優しさだったのでしょう。
自分に余裕がなく、抗がん剤治療の副作用で精神的に気持ちが落ち込んでいた私は、厳しい言葉の奥にある優しさを感じ取ることができていなかっただけなのです。
「乳がん」になって、身体は病気になったかもしれませんが、心まで病んで、身近な家族の優しさにも気づけないようになるのは嫌です。
一通り「乳がん」の治療がすんでみて、見えてくる周囲の暖かさや心遣いがあります。
それに気付けて、今は感謝いっぱいです。
辛いときを過ごせば過ごすほど、乗り切ったときには見えてくる思いがたくさんあると思います。
みなさんも自分に負けないように強い心を持ってくださいね。
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