エルケアル 

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脱毛という副作用中に親と会う

      2017/07/13

花束

病気の事を私以上に心配してくれているだろう母と、治療中に会うのは嬉しさよりもためらいのほうが大きかったです。

しかし、母と会うことで、自分も気持ちの中に何かしらため込んでいたと気づかされました。

私が「乳がん」になって、抗がん剤の治療を受け始めてから最初に母と会ったのは、副作用の「脱毛」で丸坊主になっているときのことです。

その時のことをお話しします。

 

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■「乳がん」とわかってから母と会ったのは

2012年2月に「乳がん」の右乳房温存術を受けて、3月から抗がん剤治療がスタートしました。

「吐き気」という副作用は5月まで続き、「脱毛」という副作用は3月途中からかなり先まで続きます。

田舎の母が私に会いに来てくれたのは5月でした。

乳がん」の告知を受けて、主人の、私の両親にはすでに病気のことを話していました。

でも病名を告げてから会うのは初めてで、おまけに抗がん剤の副作用で脱毛と吐き気が残っているときでしたので我が家に来てもらうことをちょっとだけためらっていました。

親が子供に会いに来るということを断れるわけはありません。

心配をかけたくないという気持ちより会いたい気持ちのほうが勝りました。

■九州、長崎から長野まではるばる

母が飛行機でなく、高速バスを使って来てくれると聞いたときは正直驚きました。

母より若い私でさえ体にこたえそうな旅だなという気がしたからです。

母は「のんびり来てみたいから」と言いましたが、後で気付いた事は年金暮らしでお金もかかるからだったという理由からだったのではないかと思います。

そんなことにも気づけないくらい当時の私は「乳がん」の治療で気持ちがいっぱいいっぱいだったのです。

結局夜に長崎を出て、夜行バスで名古屋まで。

朝、名古屋から別の高速バスに乗り換えて長野まで。

到着はお昼頃だったでしょうか?!

 

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■母の顔をしっかり見られず

自宅から最寄りのバス停まで母を迎えにいきました。

到着時刻になってもなかなかバスが着かず、母が最初に話していたバスに乗り遅れたか、違うバスで間違った方向へ行ってしまったのではないかとかなりやきもきしました。

九州にいる妹に連絡したり、バス会社に問い合わせたりしました。

すると途中でバスの遅延があったらしくバス停への到着が少し遅れていると聞いてとりあえず安心したものの、バスから母が降りてくるまではハラハラしどうしでした。

やっとバスが到着。

久しぶりに見る母は少し小さく見えました。

母のにこにこした笑顔に胸がつまって目が熱く、痛くなってきました。

■母の涙

我が家に到着し、ひと段落すると私の身体の心配と脱毛で抜けた眉毛やまつ毛に気づき尋ねてきましたので、母の前でウィッグを外して見せました。

私をギュッと抱きしめ「きつかったね(しんどかったね)」とかすれた声でつぶやき、顔も笑ってくれようとしているのですが、泣き笑いのようになって、母の目から涙がどんどん溢れてきます。

その母の涙を見ているだけで「大丈夫」と答えたかったのにただ首を振ることしかできませんでした。

■頭はツルツル、気分も不調

娘の変わり果てた姿に高齢の母はどんなことを思ってくれたのでしょうか?

昔から5人の子育てをしていただけあって、愛情深い母でした。

私の理想の母親像そのもののような人です。

私は生まれたときからかなりの未熟児で、生まれてすぐに命が危なかったらしく、すぐに母親と引き離され大きな病院へ搬送されたそうです。

輸血もしたと聞いています。

私が退院できたのは1か月も後だったと聞いています。

生まれてすぐに心配かけ、今年齢を重ねてまたもや母に心配をかけて、「乳がん」になったのは私のせいではないにしても、親不孝な娘だなと思います。

母と一緒におしゃべりしたり、庭の草むしりをしました。

体調も抗がん剤の吐き気からかなり復活していましたので、大丈夫だろうとたかをくくっていましたが、少しかがんで立ち上がる動作のときに目まいがして母を心配させてしまいました。

今思えば、抗がん剤の副作用の一つである「骨髄抑制」が働いていたのかもしれません。

貧血のような症状でした。

■普段は遠くて気づかない

九州から出て母と離れている私は実家に行く機会も少なく、なかなか母とゆっくりできませんが、このことで母とゆっくり会えてうれしかったです。

自分自身気づかなかったのですが、母と会ったことは治療で暗く沈んでいた私の気持ちをずいぶん落ち着かせてくれて、明るくしてくれていました。

(親より先に死ねない。)

何度も心配させている母にこれ以上心労を増やしてはいけないと強く思ったからです。

■お母さん、ありがとね

それと何だか愛情を充電してくれた気がします。

もちろん主人や子供との生活でも愛情をたくさんもらっていましたが、小さい頃から妹弟の人数が多くなかなか母を独り占めできなかったのに、今回自分だけにべったり構ってくれた母の存在がとても大きかったです。

この年になっても子供みたいに母に甘えられたことが自分で思うより元気をもらえたようなのです。

高齢になってから一人で九州から長野まで長い時間をかけて訪ねてきてくれた親の愛に自分が元気で居続けることが少しでも恩返しだなと思います。

お母さんありがとね。いつまでも長生きしてね。

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[記事公開日]2016/01/08
[最終更新日]2017/07/13

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